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労働保険審査会 御中 2004年6月11日
意見陳述書
国立市谷保****−*
川田キヨ子
1972年7月2日長男直は生まれました。3120グラムの標準で予定日より5日早く生まれました。 川田の母が子宮の末期がんで病床にあったため私は福島県喜多方市の実家に帰らず東京での出産でした。病院を一時帰宅した母はペットで直の頭をなでながら、「かわいいね」と喜んでいました。その3日後に母は亡くなりました。
13ヶ月後に二男の稔が生まれ、1歳1ヶ月で直は兄になり、二人は1歳違いの兄弟でにぎやかに育ちました。直は弟思いのやさしさを身につけていきました。
夫の仕事の関係で直が2歳のときに現在の住所の国立市に越して来ました。緑の多いこの町を直は特に喜び、自然にふれて真っ黒になって遊びまわり育ちました。
直が小学1年生のときに国立高校が西東京代表として甲子園出場を決め、その凱旋パレードに連れて行ったときから直は野球が好きになり、「絶対国立高校に入って野球をする」ことが、直が最初に抱いた夢でした。
小学生時代は近所の友人と野球チームを作り、西武ライオンズのファンクラブに入り、弟や友人を連れて所沢の球場に観戦に出かけたりしていました。
直は物事に熱中するタイプで、めんこ・けんだま・こまは特に得意で、何でもやり遂げようとする気持ちとそれに向けての努力は惜しまない方でした。
小学生の時、桑の木に登り桑の実を取ろうとして枝が折れ足の骨折、また中学生の時には、体育の時間に走り高跳びで高さに挑戦して着地失敗で腕の骨折など、怪我を繰り返しながら元気に過ごして来ました。
高校受験では、あんなに憧れだった国立高校を偏差値が足らなくて受験できなかったことはとても口惜しそうでした。小さい時からの夢がかなわないことで辛そうでしたが、気持ちを切り替え、自分で納得して高校生活を楽しんでいました。三鷹高校野球部に入部して張り切って練習をしていました。レギュラーにはなれなかったのですが、14番のユニホームを着て一生懸命試合に臨んでいました。高校生活は友人にも先生にもクラスにも恵まれ、直の花咲いた時代でした。理数系が得意な反面、国語や社会が苦手な直は大学受験は国立系は無理で私立の理数系の大学を選びました。一浪で立教大学の理学部数学科に合格し入学しましたが、本人は早稲田大学の理工学部に行きたい気持ちを持って予備校で学んでいました。
なかなか志望どおりにいかない人生の厳しさを身をもって強く感じたようでした。
就職については、数学科はほとんどがコンピューター関係に進んでいくことで、本人はごく当然のようにこの関連の会社への就職活動を始めました。
自宅に近い(調布市)ことと、安田系の会社であることから、安田コンピューターサービス会社を選びました。入社する前から内定者に声をかけ、クリスマス会や飲み会を企画し中心になっていたようです。入社にあたり、コンピューターにはほとんど触れていなかったのですが、会社案内のパンフレットや説明会で「経験がなくても初心者からていねいに教えます。」と言われ、また「変な癖がついてなくてゼロからの出発がいい」と話されたことで、本人はそのほうがいいと本当に思っていました。
会社がキチンとした研修体制をとらず、知識も理解もない直は、会社のすさまじい仕事の嵐の波にのみこまれてしまいました。特に研修期間を3ヶ月から2ヶ月にした等ということはとうてい納得できません。
そして、体調を崩し、メンタルヘルスの対応もなく長期休暇(就業規則にあるのにもかかわらず)ももらえず、直はつぶされてしまいました。
退職願受理後に「9月いっぱい働くと雇用保険がでるから30日まで出社するように」と言われ、うつ病が進行していた直には判断力もないままに受けざるを得なかったのだと思います。調書では本人が望んだとありますが、その日の夜は「来るように言われた」と言っていました。直は亡くなり問う事は出来ませんが、会社の人が口裏を合わせているとしか思えません。
10月4日に退職手続きにいった私たち夫婦に、長男を失って打ちひしがれている私たち夫婦に向って江澤部長は「川田君のようなことがあってもコンピューター業界は進んでいくんです。」と言い放ちました。これが遺族に言う言葉でしょうか。私たちは深く傷つけられました。これがこの会社の体質であり、絶対に許せないと思いはじめた第一歩の出来事です。
私は子どもを育てる仕事は出来なくなり、22才から続けていた保母の仕事を退職しました。どうして直を救うことが出来なかったのか、私の子育てが悪かったのかと自責の気持ちで苦しみ、直への気持ちを綴る日々を送って来ました。三鷹労働基準監督署で「発症の原因は本人にも家族にも友人関係にもなく業務上にある」と出されたことで、私は自責の念を乗り越える事ができました。自責は乗り越えたのですが、不支給決定の内容に矛盾を強く感じています。
どうして24才の健康な青年が、たった半年でうつ病に罹り、命をおとさなければならなかったのかということです。うつ病の原因が業務以外にないとされながら、直本人の脆弱性にあると断定するのでしょうか。
どうして新入社員がどんどんやめてしまう、働きにくい職場であることに目を向けず、個人の脆弱性という性格上の問題にするのでしょうか。
江澤部長は文書の中で「川田氏は他の仕事に就いても精神的にまいってしまうかもしれないと思いました。」と言い切っています。ここに人に対する非情さがあると思います。公に反省もなく、直の人間性・可能性をもつぶしてしまう体質のあらわれそのものと思います。
直はエリートではありません。何度も志望をつぶしながらも明るさと前向きさを失わずに生きてきました。メモ一枚の指示にも必死でついていこうとしたのです。十分な教育も受けずシステムを理解できていない直にとっては、人には20分で出来る仕事でも大変なことでした。なんとかやろうと努力し、もがき苦しみついていこうとして病に罹った者を、個人の脆弱性の一言でふみつぶさないでください。
労災として認められ、働きやすい、働き続けられる職場になり、二度と繰り返さない事になれば、直の命は続いていくと思っています。
私は昨年の12月7日に夫佐忠を病で亡くしました。夫の遺志をしっかり受け継いで生きていきます。毎朝、二男から贈られたシーズー犬2匹を連れて墓参りをしています。きっと夫も直も私を見守ってくれています。その心強い思いで今日臨みました。
審査会の皆々様、是非労災として認めてくださいますよう、よろしくお願いいたします。
以上。 |
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